平成20年(ワ)第●号損害賠償請求事件 原告  ●●●●外3名 被告  株式会社武富士外4名 意 見 陳 述 書 2008(平成20)年7月24日 釧路地方裁判所北見支部民事部合議係 御中                上記原告ら訴訟代理人 弁護士   ●  ●  ●  ●  本件訴訟に関する原告ら訴訟代理人の意見は以下のとおりである。 1 長年,自死の問題について取り組んでいる精神科医は,以下のように述べる。 「自殺しようとする人を止めることはできない」 「人間には自ら死ぬ権利がある」といった意見をよく耳にする。 それは間違いだと思う。  私が精神科医になって20年以上たった。  しかし,これまでに自殺するという決意が100%固まっている人に出会ったことがない。  自殺は,自由意志に基づいて選択された死というよりも,強制された死であると,私は考えている。 (高橋祥友「こころ元気ですか 男性編E」2003年3月15日朝日新聞朝刊)  本件も,本来,存在しない「借金」に追い込まれて,「強制された死」である。 2 被告ら消費者金融業者は,利息制限法に違反した利息を長年にわたり収受してきた。そして,巨額の利益を上げてきた。消費者金融の経営者が,高額納税者として,毎年のように名前を連ねてきたことは記憶に新しい。  それが法に則って,利潤をあげてきたというのであれば,有能な経営者として,賞賛されようが,実際には,法に反してまで利潤を上げただけであり,虚飾に過ぎない。その利潤には,多くの消費者が犠牲になっているのである。  ところが,こうした問題の根源について追及することは,ほとんどなかった。司法ですらこれを放置し続けた。  「グレーゾーン」などという言葉は,こうした事態を象徴的に表す。  司法は,被告ら消費者金融の収受し続けた利息について,「グレーゾーン」として,過払い請求の場面では問題としてきた。しかし,かかる行為を不法行為として責任を問うことを怠り続けた。  利息制限法は,刑事罰はないとはいえ,強行法規違反である。  これが,何故,「グレー」なのであろうか?真っ黒もいいところである。  近時,ようやくこうした常識的なことが,訴訟でも主張されるようになり,裁判所も違法性を真正面から認める判断を下すようになった。しかし,遅きに失した。  私たち司法に携わる者が,もっと早く,この問題を取り上げていれば,本件のような悲劇は起きなかったであろう。 3 本件は,様々な被告らの悪質性が表われている。  被告アイフルは,借入額より過払い金の方が多かったにもかかわらず,不動産担保ローンまで設定した。過払いの事実を知ったならば,誰もわざわざ不動産を担保としないであろう。なお,この担保設定には,法律専門家である司法書士も関与している。同人は,御庁にて調停委員もしており,簡裁代理権を有し,借金問題も取り扱っている。同じ専門家として極めて遺憾である。  また,原告の意見陳述にあるように,被害者が,生前消費者金融に,電話をして,「死んだらどうなるのか」と尋ねたところ,消費者金融の担当者は 「死亡診断書があれば(借金は)なくなりますよ。」と回答した。これこそ「死ねば借金がなくなる」とアドバイスしているようなものである。本来であれば,過払いである事実を告げるべきではなかったのか?  遺書には,  「死亡診断書 サラ金に提出・・・」  「サラ金に死亡診断書出してくれ!・・・」と書かれているのである。  消費者金融の担当者の「アドバイス」により「安心して」死を選択したのであろう。  また,被告武富士は,既に過払いであったにもかかわらず,消費者信用団体生命保険に基づき保険金を受領した。被告CFJも,再三にわたり,原告らに対して死亡診断書の提出を求めてきた。  過払いなのに担保設定したり,死をアドバイスしたり,挙げ句の果てには,死を奇貨として利益を得ようとする。ここには企業としてのモラルの欠片すらもない。 4 本件は,ごく普通の一般市民が,こうした被告ら消費者金融の所為の結果,多額の「債務」を負っているものと誤信し,それに伴う心理的負担が著しく高まり,自ら命を絶ったのである。  遺書の記載内容を見れば,誰でも理解できるはずである。  被害者は,亡くなる前,自ら死に場所を求めて,各地を彷徨った。  そして,結局,自宅で,最愛の妻とともに暮らした自宅で自ら命を絶った。その悲壮な決意は,筆舌に尽くしがたい。 5 自死は,被害者本人だけでなく,遺された家族の人生をも変えてしまう。  本件でも,妻の表情から笑顔は消え,会話を失わせた。息子夫婦は家庭崩壊した。娘は自らの仕事を諦めた。夫,父を失う悲しみだけでなく,原告らに人生被害をももたらした。  自死は,今でも社会的にはタブー視されている。原告らは,訴状に名前を連ねたり,法廷に出廷したりなど,本来はしたくないはずである。しかも,原告らが居住する地方の小さな町では,僅かなことだけで個人が特定されるリスクを伴う。しかし,原告らは,プライバシー侵害等が生じかねないことを覚悟の上,敢えて本件訴訟を提訴した。  それは,被告らの責任を明らかにすることを通じて,本件のような悲劇を2度と繰り返さないようにしてほしいという遺族らの思いからである。  裁判所には,是非,こうした原告らの被害実態を知っていただきたい。 6 ところで,本件訴訟の提起には,相当長期間を要した。それは,御庁の前任裁判官が,釧路家裁●の担当裁判官として,限定承認の相続財産管理人の本件訴訟提起について,裁判所の許可が必要との見解をとり,しかも,許可しなかったためである。結局,高裁の判断を受けて,事実上是正されたが,限定承認の相続財産管理人について,こうした裁判所の許可が必要ないことは,民法の条文構造から明らかであるにもかかわらず,自己の見解に固執し,しかも,訴訟提起まで阻もうとしたのである。現在の裁判体の問題ではないが,裁判所の立場性によって司法判断が大きく異なることを象徴する出来事である。 7 裁判所は,被害者の無念,悲痛な訴えに耳を傾けて,国民,消費者の立場に立って被害救済を図るのか,被告らの違法,企業モラルの欠如を擁護するのか,その姿勢が問われている。多くの国民がこの訴訟に注目している。 以上