平成20年(ワ)第●号損害賠償請求事件 原告  ●相続財産管理人●外3名 被告  株式会社武富士外4名 意 見 陳 述 書 2008(平成20)年7月24日 釧路地方裁判所北見支部民事部合議係 御中 住所:北海道●●●●●●●● 氏名:  ● ●  ● ●  1 私は,亡くなった●●の娘です。今回の裁判に際して,父が亡くなるまでの経過,私たち家族の思いを述べさせていただきます。  父●は,わがままで気分屋でしたが,優しい父でした。小さい頃,寒いときには,冷たくなった私の手を服の中に入れて温めてくれました。今でも,心に焼き付いています。  「2006年2月20日」私の父は自ら命を絶ちました。原因は「借金」,しかも実際には,払いすぎであったのに・・・。 2 その8日前の2月12日,父から電話がありました。  当時,私は,仕事の関係で埼玉県の●市に住んでいました。少し前に,出張でタイから戻ってきたところ,実家から父が家出をしたと連絡がありました。私が小学生の頃に一度,父は借金を苦にして家出をしたことがありましたが,数ヶ月経って帰ってきました。そうしたこともあり,多少は心配でありましたが,いつかは戻ってくるだろうと思っていました。  父は,●にいるとのことでした。  私は,仕事を早退して,急いで,●に向かい,父に会いました。そして,父が泊まっていたホテルで食事をしながら話をしました。最後の会話でした。 「3週間ほど『死に場所』を探したんだ」 「鞄に包丁とロープが入っている」 「『利息』に疲れた。」 と,これまでの経過について話してくれました。サラ金とは長い付き合いとなり,返済のめどが立たなくなっていたのでした。  さらに,父が言うには,サラ金に電話をして, 「死んだらどうなるのか」 と尋ねたとのことでした。  すると,サラ金の担当者は, 「死亡診断書があれば(借金は)なくなりますよ。」 と答えたとのことでした。  今になって思うと,父には借金から逃れるのは「死」以外考えられなくなったのでしょう。  でも,本気で死を考えているのであれば,わざわざ私に「死に場所」を探すなんて言うはずがないと私は思っていました。  だから,私は, 「死んでも仕方ないよ〜」 「家に帰りな」 と父を促しました。 3 翌日,父は自宅に帰りました。私も一緒に実家に帰ろうと思いましたが,仕事の調整などもありましたので,「20日には帰るよ」と父に伝えました。  私は,実家で父と一緒に話し合った上で,一緒に借金の返済を手伝うしかないと覚悟していました。 4 2月20日,運命の日。  早朝,兄から電話がありました。 「今日,帰ってこられるか?」 「うん,帰るよ〜」 「・・・・・・・。」 一瞬の沈黙の後,兄から思いもよらない一言。 「落ち着いて聞けよ。パパが首をつった。」 「・・・・・・・。」  言葉が出ませんでした。  急いで身支度して,羽田空港へ急ぎ,実家へ向かいました。  ●空港に着くと,兄がいました。 「パパは,今どこにいるの?」 「・・・。うちで寝てる。」  兄の表情から,父の死を悟りました。  車中では,無言が続きました。実家に着くと,父は和室で横になっていました。本当に眠っているようでした。  父の死を受け入れることが出来ず,台所で小さくなっていた母。  父の横で呆然として,座り込んでいる祖父母。  父は本当に死んでしまったのです。  あの光景は,今でも昨日のことのように忘れられません。  ●で会ったときに,父の言葉が覚悟の上だと気づいていたら・・・,一緒に実家に帰っていたら・・・今でも悔やまれてなりません。 5 父の死により,私たちの生活は変りました。  いつも明るく笑顔を振りまいていた母でしたが,ほとんど話しをしなくなってしまいました。今でも,父と一緒に寝ていた和室では寝られず,居間のソファの上で寝ています。  兄夫婦は,父の死,その後の様々な出来事で夫婦関係がぎくしゃくしてしまい,結局離婚してしまいました。  私は,母をひとり放っておくことは出来ず,●で続けていた仕事を辞めて,実家に戻りました。  父の死後,私のおなかの中には,新しい生命が宿っていたことが分かりました。もし,このことを早く知って父に伝えることができたならばと思うととても残念です。娘は,今年の10月には2歳になります。父が生きていれば,とても可愛がっていたことでしょう。私たちにしてくれたように。 6 今回,父の借金の整理をするために,矢箆原司法書士に依頼して,はじめてサラ金が,利息制限法に反して違法な金利で貸し付けていることを知りました。そして,父についても払いすぎになっていることを知りました。  父は,遺書らしきメモを遺しています。読んでください。いずれもサラ金の借金についてのことです。もし,払いすぎであることを父が知っていたならば,こんなことにはなっていなかったでしょう。  私たちは,父の無念を晴らしたい,そして,二度とこうした被害を起こしてはならない,そうした思いで今回の訴訟を提起しました。 以上